親の離婚理由徹底解説(笑)part1

 

前回の記事で書いたようにウチの両親は離婚してる。

 

しかも、離婚した親父は僕が物心着く頃には

一緒に生活していたが血の繋がった親父ではない

本当の親父は僕が1歳か2歳くらいの頃

かーちゃんに酷くDVをしていたらしく

その手が僕にまで及びそうだったから

その男とは離れたらしい。

 

だから顔も性格も全く覚えてないし

名前も僕が結婚する時に役所で色々な書類を

集めてる時に記載されているのを見て初めて知った

 

 

と、まぁ茨城では8割の人が経験している話を

今日は自分自身の記憶の整理を兼ねて

徹底深堀りしていこうと思うゾ!!(クレしん風)

 

 

類は友を呼ぶと言ったもので

子供の頃から今も仲良い友達は

大体家庭環境複雑な人が多いww

 

でも、みんなまともに生きてる。

 

事あるごとに家庭環境のせいにされたくないし

したくもないが現に私生活や世間では恥ずかしいと

思う事を躊躇なく包み隠さず公開する僕のような

モンスターも生まれるわけでww

 

もし、僕の親族がいつかこの記事を見ても

まぁしょうがなかろう…で済ませておくんなまし。笑

 

  

 

話は戻るが、今から書くのは事実上2番目の親父の事

かくゆう僕も中学生くらいまでは本当の親父だと

思っていたくらい幼少期から生活を共にしてた

 

僕、頭は悪いんだけど結構赤ちゃんの頃の記憶とか

幼少期の頃の記憶も結構あるタイプなのよ

遡っていくとその2番目の親父と初めて会ったのは

僕が4歳のころだったと思う、当時は前の男から逃げて

カーチャンの実家に住んでた。

 

そこから3つくらい離れた石岡って町に

出会いは解らんが週に1回程度は遊びに行ってた

僕はカーチャンとその人とよくスケボーやら

プレステとかで遊んでもらっていた記憶

 

当時カーチャンも2番目の親父になる人も21歳

 

それから僕が5歳くらいの頃気づいたら

僕はカーチャンとその人の実家で暮らしてて

普通の家にその人の両親、弟、祖父の計7人で

共同生活をしていた。

 

僕が6歳になる頃には結婚式をあげて

そのすぐ後に弟ができた、だから8人の大家族生活…笑

その石岡の家には僕が小学2年生で8歳の頃までいた

3年程住んでいたけど、その後はまたカーチャンの実家

近くのアパートに引っ越して家族4人の生活が始まった。

 

窮屈になってきたから引っ越したと思っていたが

二十歳過ぎた頃に直接カーチャンから聞いた話は

嫁姑問題らしいwwwなんか姑が1人で僕の弟(1歳)

の子守りをしていた時、ふと目を離した瞬間に

弟が階段から転げ落ちて骨折する事故があった

それから2人の関係は悪化していったようだ草!!

 

僕たちが石岡の家からでた1年後くらいに

親父の両親、僕からするとジーバー達が離婚した

その時は親父の弟はもう家を出てたから

ジーの方は親父の祖父と元の家で二人暮らし

 

バーの方は隣町に一軒家を建てた…

これも僕が大人になってから聞いたんだが

バーは何十年もヘソクリを旦那に黙って溜め続けていた

そう…この時の為にずっと、ずっと…。

計画離婚…(ね?茨城での離婚って赤信号渡るくらいの感覚なんだよ、多分。。)

 

 

 

アパートで暮らし初めて3年

僕は小学5年の11歳、弟4歳、両親共に27歳の頃

親父が一軒家を建てた。

(29で実家暮らしの僕から比べれば立派であるww)

 

 

親父はつくばにある一流ホテルに勤めていて

友達も多くて皆んなでフットサルチームを作ってたり

BBQやったりしててその中でもリーダー的な立ち位置

タイプの人だった、引っ越しも何人もの友達が

手伝いに来てくれたりしてた、僕はそんな人望のある

親父がとても憧れだったりもした。

 

よく、親父の友達と富士急いったり

うちで皆んなでパーティーしたりと毎週末

賑やかだった、カーチャンもよく女友達を

家にあげて酒飲んだり女子会をしてたし

みんなの溜まり場みたいになってて

僕も皆んなに可愛がってもらって凄く楽しかった

 

 

そんなカーチャンの友達の1人に

僕より1つ下の娘がいるシングルマザーの友達がいた

昔からの友達みたいで僕とその娘は幼馴染みたいな

関係だったハイハイしてる時から遊んでたし

お互いベビーカーで連れられて買い物してる

写真もあったくらい昔から仲が良かったようだ

 

 

そのシンママもよく遊びに来てて

月に一回泊まりに来たりもしてた

 

僕もその娘と遊ぶの楽しかったし

弟も入れた3人で64のマリパしたりしてた

 

 

 

そんな普通の家庭よりは賑やかな家だったが

順風満帆な家族ではあった2006年の夏…

親父が過ちを犯すまでは。

 

 

 

 

 

2006年夏

 

家を建てて3年が経ち

僕は中学2年生の14歳、弟8歳

両親共に30歳の時

 

その日は確か夏休みの真っ只中で

普段忙しい親父がせっかくの夏休み

家族の思い出をとゆうことで

よこはまコスモワールドって遊園地に行った

ジェットコースターやら観覧車に乗って

家族4人、日中は散々遊んで楽しんだ

 

それから帰宅すると

急遽シンママが娘と一緒に遊びに来ることになった

遊園地行った後に遊びに来るのかよ!!って

今は思うんだけどもww

当時はそーゆのが当たり前だったからなのか

普通にシンママは子供を連れて遊びに来た

 

いつも通り大人達は酒を飲みながら話してたり

飯を皆んなで食べたりしてその日も何も変わりなく

過ぎて行った、ただ僕と弟は遊園地の疲れもあるのか

いつもより早めに睡魔が襲ってきたようで

僕、弟、シンママの娘の3人は2階で早めの眠りについた

 

1階から聞こえる大人達の会話を子守唄がわりにして。

 

 

 

 

それから何時間たったのだろうか

日付は変わっていたと思う

 

 

いきなり1階からの

 

「なにしてんの!!!!」

 

カーチャンの怒号とともに

ガシャン!!ガシャン!!と何度もグラスを

投げつけて割れてる音で僕は起きた

 

 

寝ぼけてる僕の耳に聞こえてくるのは

急いで階段を駆け上がってくる誰かの足音

ガチャンと扉が開いて立ってるのはシンママだった

 

「○○(娘の名前)帰るよ!!」

 

と言い、まだ寝ている娘の手を引っ張って

階段を降りて行きそのまま家を出て帰って行った

 

2階から窓を見るとその後すぐに

親父も車で出ていくテールライトが見えた

 

 

訳がわからず

弟を起こさないようにそっと1階に降りると

台風が過ぎたかのように部屋はめちゃくちゃになってた

何個ものグラスが割れていて

酒は飛び散って、料理はぶんながっていた

 

そんな中、

テレビの音とカーチャンの泣き声だけが

部屋に流れていた。

 

 

つづく。

 

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