2007年4月頃
当時の僕中学3年の14歳
中学生でPRIDEや旧K-1をVHSで録画して
テープが擦り切れるくらい見ていた格闘オタクが
格闘サークルからガチの中のガチジムに入り
そこから僕の格闘技人生、T-BLOOD人生が始まった
小学生からPRIDEは大好きだったんだけど
中、重量級しかTVでやってなかったし軽量級の
PRIDE武士道は深夜放送が基本で見てなかった。
なので入会した時は正直、川尻さんの事も
石田さんのこともあまり知らなくて
試合も見たことなかった…笑
そんな中、川尻さんに
「好きな選手わ?」の問いに秒で
「ヴァンダレイ シウバ!!」
ってタメ口で答えてたお茶目なかずちゃんww
それから格闘技をやるのが楽しくて楽しくて
学校終わると家に帰って少しご飯食べて
チャリで片道1時間弱掛けて週5で通っていた
終わるのは22時前…。
家に着くのは11時前、そこから風呂に入って
飯食って寝て学校に行くって生活を送ってたせいで
日中の授業中はクソ眠くてずっと寝てたし
元々やる気のない勉強がさらにやる気がなくなって
テストの点は元から下から10番目位だったから
そんな変動はなかったけど、通知表の評価はウンコ
これでは行ける高校が無い
なんて、親にも先生にも言われてて
周りの同級生もみんな高校受験に向けて
本腰を入れ始めていたけど僕はジムに行った
そして結局は県内で1番偏差値の低い
不良の吹き溜まり高校へと入学する事になった。
が…
2週間で辞めた
理由はもっと格闘技がやりたかったから…
この時K-1甲子園が流行っていて、そこに出てる
高校生は格闘技に掛けて通信制の高校に通いながら
1日の大半格闘技をやっている
みたいな、姿に憧れを抱き…
数人の同級生と同時に高校に行かなくなり辞めた。
そんな僕を見て母ちゃんは
激怒したし泣いていた、そして最終的に
謎のツテを使われて強制的に僕を
自衛隊に入れようとしたのだった…
毎日大量の入隊資料が送られてきて
毎日自衛隊カレンダーやキーホルダーやら送られ
最終的には家に隊員が菓子折り持って勧誘に来た
そして母ちゃんに
と言われ迷わず
「通信制に行かせてください!」
と即答した…。
2008年4月後半から通信高校に編入して
格闘技と勉強の両立の3年間が始まるハズだった…笑
1年生の頃は同じように毎日ジムにいって
毎月ジム生の試合の応援に行ったり
川尻さんや石田さんが出場するDREAMは全部
見に行ってたし大阪城ホールまで遠征もしたし
2008年9月には引き分けだったけど僕自身
初めての試合もして格闘技人生を満喫してしていた
それが…高校2年の頃になると
友達と付き合う時間が増えてバイクに乗り…
非行に走り…次第に家にも帰らず…
ジムに行く回数も週5から週3、週1減って行き。
最終的には行かなくなった…
そして母ちゃんがまた泣いた。
(いや、当時の僕クズすぎて草も生えん…笑)
ジムと疎遠になっている時でも
現ジムの代表の岩瀬さんから連絡をもらって
またちゃんとジムにくるように言われたし
DREAMやk-1のチケットをくれたりしてくれて
僕のことを気にかけてくれていた
でも、高3になるくらいには僕は完全に
退会をしてて四六時中友達とバイク乗ったり
喧嘩なんかしたり遊んでいるクズクソガキだった…
(この時に漫才なんかをやったりしてたw)
芸人を目指してた話 part1 - 底辺だけど生きていくしかない
てきとーに学校に行って、てきとー卒業して
専門学校に行ってそれも辞めて就職しても
全く続かず転々としていた18歳。。
周りは大学に行ったり将来を見据えて
生きている中いつまでもぷらぷらしていた2011年
そんな中11月の寒くなって来た頃に
いきなり血尿がでるようになり
膀胱に違和感を感じた僕は病院に検査に行くと
小さな腫瘍の影があった。
数週間の入院
ちんこに管を入れられてのベット生活…
これがめちゃくちゃ暇で、TVは金かかるし
家からDVDプレイヤーを持ってきてたから
近くのTSUTAYAにDVDを借りに向かった
当時流行ってたけど格闘技を辞めた
自分への後ろめたさからアウトサイダーは
全然見てこなかったけどこの際だからって事で
イロモノを見るような感覚で借りて病室で視聴
すると…
これがおもしろいのなんのww
全身に刺青を施した不良達がリングでバチバチ戦う
夜中イヤホンして見てた僕は興奮して
寝れなくなるほど夢中になったww
お医者さんからこの腫瘍はタバコが原因だから
すぐにでも辞めなさい!って言われてたから
退院したらタバコもお酒も辞めて
もう1度ジムに行って格闘技をやろう!!
って深夜の真っ暗な病院の中で
2度目の決意をしたのだった。
そして第2の格闘技人生のアウトサイダー編が始まる
が…これも数年で終わるwwww
つづく。