芸人を目指してた話 part1

 

この話は僕が高校生の頃の話。

10代後半特有のビックな夢を見ていた

要は厨二病のような話…

 

そこに漫才茨城大会優勝…

関東大会出場でTVに映るとゆう

勘違いにさらに拍車をかけて

本気で芸人になろうとしていた頃の話。

 

当時の相方は今ではTVで活躍してるプロ芸人って

ゆうお土産付きなむかし話しでございます。

 

時間がある方は是非読んでくだされ。

 

 

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2009年、当時僕は高校2年生で通信制の高校に通い

勉強をしつつも、それ以上にニコ動の動画配信に

ハマってそこに1番力を入れていた。

 

動画の再生数も結構好調で

ある程度固定のファンも付いてくれていたし

何しろ、2ちゃんの創設者の西村ひろゆき

ブラザートムなどが僕の動画を見てコメントをくれたり

配信ライフとしてはとても順調だった。

 

[その頃の話はここに↓]

YouTuberだった頃の話 part1 - 底辺だけど生きていくしかない

 

 

その時にふとTVを見ていると

全国のイオンで開催されている吉本主催の

"ハイスクール漫才"とゆう高校生の全国漫才大会の

募集のCMを見て、何を勘違いしたか…

 

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(次はコレだ!!)

 

 

と心臓の鼓動が早くなったのを覚えてる。。

元からお笑いやM-1が好きだった事もあって

よく見ていたし何故か変な自信があった…笑

 

 

僕が通っていた中学は今思うと少し変わっていて

その時の身内笑いって感覚もあるだろうが…

そこらの14.15歳の年代よりは遥かにお笑いレベルが

自分達の学年だけ異様に高かった気がする。

 

各クラスに数人はお笑い担当がいて

常に面白い事考えていたし、休み時間に作った漫才を

披露したり自作のスベらない話とかをして生活していた

 

その中でも特に輝いていた奴がタケシって奴で

もし僕が、お笑いを目指すのであれば

こいつと組みたいなってのは中学の時から思ってた

 

中学時代はよく皆んなで一緒にいたけど

卒業と同時に皆んなバラバラの高校に行って

連絡を取ることも無くなり疎遠になっていた。

 

タケシは中の上くらいの進学校に入り

サッカー部に入り高校生活を謳歌していた

その一方で僕は高校を数ヶ月で辞めて…

根暗インキャネットヤンキー…

 

そんな僕の噂は結構広まってたし

電話するのも凄くためらったんだけど

どうしてもタケシと組みたかった僕は電話を掛けた

 

 

僕「あ、もしもし…ひ.久しぶり」

タケシ「おぉどした??」

僕「あのーまだ、お.お笑いとか興味ある…?」

タケシ「え?」

僕「高校生の漫才大会があるんだけど…どお?」

タケシ「出てみたい!!」

 

こんな感じで意外にもあっさりとokをもらった

 

 

ハイスクール漫才は夏休みの期間開催され

全国のイオンで予選大会が行われていて

その地方大会で優勝して、さらに吉本の評価が

高かった数組だけ関東大会に出場できて

そこで優勝した1組は決勝をルミネで行うとゆう

結構大きな大会であった。

 

その地方予選はどこの地区から出てもいいし

何回もエントリーしていいとゆうww

そこは緩い規則があった。

 

 

サッカー部で忙しかったタケシは1日だけだったら

予選に出れるからその1回のみってゆう条件で

僕たちの漫才Summerが始まった

 

 

だが果てしなくムズイ…

全くペンが進まない…

 

そしてやっとの思いで人生で初めて書いたネタは

その時僕が好きだった、さま〜ずのコントに…

かなり似ていた、とゆうか真似て書いた…笑

 

 

そして1.2日くらい合わせて

いざ大会当日…。

 

 

 

出場数は2〜30組はいたと思う

この時も[YouTuberだった頃の話]にも出てきた

小木津に何回も練習を見てもらい、当日の大会も

見にきてもらった…。

 

 

初めての人前での漫才…

動画を配信するのとは全く違う感覚…

僕とタケシは舞台裏で嗚咽を何度も繰り返していた…

 

 

結果は惨敗…。

 

 

小木津にも優勝したコンビとは

結構レベルの差があったとも言われた…

 

優勝したコンビの名前はGパンパンダ

パンフに書いてある高校名を見ると

茨城でかなり偏差値の高い高校に通っている2人組

 

こちとら…底辺通信制高校…となんちゃって進学校

 

やはりお笑いと偏差値は比例するのか…

 

と2人で肩を落として帰った。

 

 

そこからまたタケシとはあまり連絡を取らなくなって

 

僕はまた普通に学校行きながらニコ動活動して

タケシも勉強と部活の普通の生活に戻っていった

 

1年後の2010年7月

ちょうど奄美の出来事も終わって…

奄美物語↓]

奄美物語 part1【純情恋愛】 - 底辺だけど生きていくしかない

 

動画作る気力も無く毎日家でボケーっとしてる所に

またハイスクール漫才の募集のCMを見た。

 

 

 

 

 

(よし!)

 

高校生である最後チャンスにまた2人で

挑戦をすることとなった。

 

 

 

続く。